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switch point 企画展

冨井大裕 展

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冨井大裕さんの新作個展に寄せて

あるとき、冨井さんの個展でない場所で、そこのギャラリーのスタッフのひとから、たまたま、おそらく次回の展覧会の打ち合わせのためにだろう訪れた冨井さんを紹介されて、そのさわやかな笑顔の青年は、今度展覧会があるんですがと、いささかひかえめに、私に案内状を差し出したのだった。てっきりこの場所で、と思ったから、じゃあ、またここに来ましょうといったが、じつはよくその案内状を見ると、吉祥寺での展覧会であった。青年は、このギャラリーでもあるんです、と、やはりひかえめにメガネを反射させながら、二人展で、もちろん、よかったら、それも、と、笑顔でいったのだった。アーティストという人種の多くは、半年に一度とか、年に一度とか、腰をすえてというか、もっとじっくりやるもんだと思ってたから、これはきっと、たまたま時期がかさなったのだろうと思ったが、その後、冨井大裕さんという作家は、月イチで作品を発表をするような、ヤツギバヤに作品を繰り出してくる、おそろしい男だと知るわけだが、そのときはまだそんなこと知らなかったし、そもそも私は作品も見てないのであって、吉祥寺の個展を見に行った。

そこにあった作品群に、私はどんな感想をもっただろうか。言葉にしてみようとすると、それは、ヒョウシヌケというのが正直なところだと思う。というのは、そこにあったひとつたりとも、大げさなものはなく、むしろ見慣れたもので、そのかわいらしいとさえいえる外見は、等身大というより、子供の身体にあわせてつくられているようでもあった。どこかなつかしさをともなっているが、それでいて、作品の詩的な運用をこばんでいる。個人の記憶をさかのぼろうにも、物語は用意されてないから、その記憶のたどり着く先はどこにもない。感動しない、というと誤解されそうだが、「感動」とは別の次元の感情のはたらきが見ているとうながされるようであり、際限のない、遊戯のように感じたのだった。また遊戯がいつもそうであるように、たまたまそれが素材に、あるいはかたちとしてえらばれているだけのように思われるのだった。見慣れたものという私の第一印象が、じつはまちがっていることに気づくのも、このときで、たしかに見ているのは、付箋であり、折り紙であり、それ以外のものではない。にもかかわらず、一時的に別のものになっている。それは、いわば一般名詞でしかない「折り紙」や「付箋」が、このときだけ、その場で、作品という固有名を持ってしまっていることへのおどろきなのだった。素材としては見慣れたものであっても、そのかたちは、まったくその場ではじめて見るものだった。ただ、グシャッとつぶれてしまいそうなそのつくりが(それがかわいらしさに一役買っているのはたしかだろうが)、かけがえのないものであることを演じてしまいかねないのも事実であろう。しかし、ときに作品に添付される「指示書」を見れば(これは明らかにドローイング作品として壁に貼られている)、誰にでも複製できる(くりかえせる/遊べる)と、一種のタネあかしがしてあって、そこに記される即物的でテクニカルな記述が、作品が詩的、文学的であることと無関係であると告げている。それ以外の方法で、冨井作品について綴ろうとしても、そんな言葉のなかからは、冨井作品はさっさと逃げ出し、モヌケノカラでであろうし、その作品の空洞に文学的な「感動」をつめこもうとすれば、作品の独自さを見失ってしまうだろう。この一文ですらすでに文学的に十分機能しはじめているかもしれない危険を感じてもおり、ここで安易な結論を下すのは避けようと思う。今はただ、この文章からは目を離し、目の前の作品を飽きるまで、見ることにしよう、子供のころ、飽きるまで、遊んだみたいに。

文学的に機能しはじめていると書いたのは、この文章が、作品そのものとはほとんど無関係に、しかも、展覧会の会期の前に、今、机の上で、なけなしの記憶とありあわせの言葉であれこれ思い描いてみているからだが、そのなけなし、ありあわせの記憶のなかで、おぼろげになって、作品の具体的なかたちはわすれてしまっても、それでもなお、いきいきと冨井作品は息づいているように感じられ、つまり、見かけによらずしぶとく、タフな作品ということになるが、ご本人もまさにタフガイであって、吉祥寺の展覧会でその作品に一目ぼれして、今度、新宿の書店で私のフェアをやるのだがそこの棚に作品を展示してくれないだろうか、とその場でお願いしたのだった。まったくのその場の思いつきだったのだが、一度しかあったのことない(しかも、ギャラリーで挨拶しただけ)、怪しい男の申し出に、またさわやかな笑顔で、いいですよと、こちらがヒョウシヌケするほどあっさりと応じてくれたのであった。むろん、それは作家にかかせぬ直感と、するどい洞察にもとづいていることは、私の新著のフェアであるはずのその棚が、ほとんど冨井大裕展といっていいほど、彼なしには成立しない、立派なフェアになったことからも明らかなのである。その証拠といっていいだろうが、異例なことに、池袋店に今、「巡回」も果たしているのである。造形作品が書店の棚、壁に展示されるという不思議な一角になったのだったが、たまたまのその場の思いつき、またそもそも、偶然の出会いであったものが、一種かけがえのないものに転じたところが、冨井大裕の表現そのものであるような気がすると、フェアの前日の搬入作業を見ながら感心していると、作業が終わった彼は、じゃあぼくは、展覧会の搬入のつづきがあるので、これで、とまたしてもさわやかに答えるのだった。その搬入とは冒頭の二人展のことで、いつの間にかフリダシにもどったような感じがして、そこにも、たまたまではあろうけれども、冨井さんの遊戯性を感じたのである。

十一月十六日深夜

福永信(小説家)

 

作られるものの定義

・どのような状態であっても物体であること
・物体が単位であり、全体は単位に備わった色と形、寸法、能力によって構成される。結果、全体の印象の原因が、必ず単位である物体に帰納されるもの
・寸法、形体、色が、置かれる空間や人間のサイズ(身長および各部位、物体に触れている部位)との関係により導かれるもの=現実を受け入れたもの
・空間の中で人間が関わるもの(見上げる、見下ろす、近づく、離れる、向かい合う、包まれる、探す...)
・一般常識として習慣的に行ってしまう動作と、個人的についやってしまう何気ない対応。その肯定と特化によってつくられるもの
・様々な物事と関わるなかで、数年後も思い出す物事によってつくられるもの
・成り立ちが全て見えているもの=そこで何が行われたかがわかるもの
・どのような状態であっても物体であることを、その成り立ちが主張するもの
・完全にコントロールされたもの(偶然も対象となる)=何度でもつくることができるもの
・どのような場所でも制作が可能なもの=特別な技術を必要としないもの
・必ずしも所蔵されることや永続性を目的としないもの

以上の定義によってつくられるものを、私は作品とよぶ
以上の定義によって私がつくるものを、私は彫刻とよぶ

冨井大裕

 

switch pointでの過去の展覧会

2004 「荷物 baggage」
2005 「いつものこと」詳細
2006 「出会い直し」詳細
2007 「まると四角」詳細
  「pre」詳細
2008 「みるための時間」詳細

 

冨井大裕 (とみい・もとひろ) 略歴

1973 新潟県に生まれる
1997 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業
1999 武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了(修了制作優秀賞受賞)
  第4回アート公募2000審査員大賞受賞

個展

1998 「周辺のカタチ」ギャラリー現(東京)
1999 「煙の点」ギャラリー現(東京)
「見えない部屋」ガレリアラセン(東京)
「ものかたち」なるせ美術座(東京)
2000 「あけすけ」(第4回アート公募2000審査員大賞展)モリスギャラリー(東京)
2001 「ありさま」マキイマサルファインアーツ(東京)
「ある」藍画廊(東京)
2002 「隣の夢」なるせ美術座(東京)
「周辺と周縁」モリスギャラリー(東京)
「早送り、巻戻し、」ZaGallery有明(東京)
2003 「世界の真上で」art & river bank(東京)
2004 「荷物 baggage」switch point(東京)
シリーズ展「THE COVER」ZaGallery有明(東京)
2005 「仮眠的」中崎透遊戯室(東京)
「空白の作り方」U8 Projects(愛知)
CAS(大阪)
「いつものこと」switch point(東京)
2006 「出会い直し」switch point(東京)
ギャラリー現(東京)
2007 「みるための時間」武蔵野美術大学美術資料図書館・民俗資料室ギャラリー(東京)
「αMプロジェクト ON THE TRAIL vol.2」art space kimura ASK?(東京)
「まると四角」switch point(東京)
「世界のつくりかた」art & river bank(東京)
2008 「みるための時間」switch point(東京)
  「身の回りのものによる色とかたち」遊戯室[中崎透+遠藤水城](茨城)
  「企画展=収蔵展」アーカス・スタジオ(茨城)
2009 「かみの仕事」Art Center Ongoing(東京)
  「copy boy」ギャラリー現(東京)

グループ展

1997
「Dramaturgie─すれ違う日常─冨井大裕×丹羽陽太郎」キッド・アイラック・アート・ホール(東京)
1998 「対話する器」ギャラリー那由他(神奈川)
1999
「存在の家─見知らぬ私のために─ 木村裕×冨井大裕」メタル・アート・ミュージアム─光の谷─(千葉)
「第4回アート公募2000」新木場SOKOギャラリー(東京)
「ほどけない神経の鍵穴」ギャラリー那由他(神奈川)
「武蔵野美術大学大学院修了制作選抜作品展」武蔵野美術大学美術資料図書館展示室(東京)
2000 「美術の星座 Constellation of Art 1998-1999-2000」なるせ美術座(東京)
  「TRANSIT/経由・帯域」(第4回アート公募2000ガレリアラセン画廊企画賞展)ガレリアラセン(東京)
  「机上の空論 丹羽陽太郎×冨井大裕」ギャラリーマロニエ/京都
  「GALERIA RASEN select 2000 Vol.2」ガレリアラセン(東京)
2001 「minimum continuation //継続」exhibit LIVE(東京)
  「GALERIA RASEN 2001」ガレリアラセン(東京)
2002 「PC展」ZaGallery有明(東京)
  「GALERIA RASEN session」ガレリアラセン(東京)
2003 「Small Works Exhibition」ZaGallery有明(東京)
  「栞展」藍画廊(東京)
  「Jin Session 2003 Vol.4 “off topic”」ギャラリー人(東京)
  「PC2003」ZaGallery有明(東京)
  「アートと暮らす新世紀4 元気の素」ZaGallery有明(東京)
2004 「conran show」OKADA STUDIO(愛知)
  「floating scale ─「スケール」を巡る旅─」学食2F(愛知)
  「space」U8 Projects(愛知)
2005 「12 DIVERS AT THE MOUNTAIN GATE」旧山口履物店(東京)
「MATERIAL MIXTURE」node cube(東京)
「芸術の山/第0合/発刊準備公開キャンプ/立体編その1」NADiff(東京)
「cat's heaven...!」gallery Archipelago(東京)
「美術の星座 2005 Constellation of Art」ギャラリーくまい(東京)
「字界へ─隘路のかたち─」長久手町文化の家(愛知)
「深川HO-BOアート2」深川資料館通り商店街(東京)
2006 「基準の技術」KABEGIWA(東京)
「色と形」KABEGIWA(東京)
2007 「ニュー・ヴィジョン・サイタマ Ⅲ 7つの眼×7つの作法」埼玉県立近代美術館(埼玉)
「pre」switch point(東京)
「壁ぎわ」KABEGIWA(東京)
2008 「BROKEN」TIME & STYLE MIDTOWN(東京)
「5×5」万国橋ギャラリー(神奈川)
「アートプログラム青梅 空気遠近法・青梅-U39」青梅織物工業協同組合施設(東京)
「ニューバランス」gallery Archipelago(東京)
「DRAWING」TIME & STYLE MIDTOWN(東京)
2009 「第1回所沢ビエンナーレ美術展 ─引込線─ 」西武鉄道旧所沢車両工場(埼玉)
「アテンプト2 矢櫃徳三・久家靖秀・冨井大裕・ジャンボスズキ」 カスヤの森現代美術館(神奈川)
「Inside Outline 冨井大裕+奥村雄樹」KABEGIWA(東京)
「変成態─リアルな現代の物質性」Vol.2 冨井大裕×中西信洋「揺れ動く物性」ギャラリーαM(東京)
「リニューアル」武蔵野美術大学美術資料図書館(東京)
「壁ぎわ」現代HEIGHTS Gallery Den(東京)

コミッションワーク

2008 日吉の家[設計 田中裕之建築設計事務所](神奈川)


開催情報

冨井大裕 新作展
2009年11月19日(木)ー11月29日(日)
11:30ー18:30(最終日11:30ー17:00)
11月25日はお休み

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