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switch point 企画展

1980年代より活躍を続けている美術家、上野慶一の絵画作品展を開催いたします。

 

いつか来た場所/絵空事(えそらごと)としての絵画

「図書館」

それから数世紀を経て、再び私は人として生まれ、
水晶で出来たレコードのあるという、今は荒れ果てた、昔は図書館だったという場所を訪ねた

遠い昨日に
親しく語り合った人の温もりが、その呼吸が、眼差しが、面影が、
機械的な合成をもって、アーカイブスから再生される

懐かしい声は磁気ノイズの彼方
それはただあたりまえの風の音に過ぎないと人は言うけれど

私は再びの出会いの準備をしよう
絵画という乗り物を設計し、組み立てて

その乗り物にのって
月明かりに照らされた寥々とした雲海でかつての友と
グラスに満ちた冷たい月光を飲み干しながら
無言の晩餐会を開くのだ

(ローリー・アンダーソン"World Without End"への返杯)

 せめてエキストラとしてでもよいから、こうした晩餐会に紛れてみたいもの(笑)。さて、このところ絵を描いていて「ああ、ここは以前来た場所だなぁ」と感じる時がある。風景が似ているのだ。僕には明確な方針とか無いままに、ダウジングのように水脈、地脈を占って方向を決めて制作するという癖があって、気が付くと同じ場所を堂々巡りしているというようなことがままある。

 個人的には絵画という乗り物、あるいは装置を設計し組み立て、それを操縦して、世界という物語を探査するということが絵画を描くということだと勝手に考えているのだけど、こういうときは多分その物語の中で、迷子になってしまっているのだろう。以前来た場所にとても似てはいるが、完全に同じではなく、いくらかレイヤーがずれている感じ。少しトポロジカルな操作をしてレイヤーに穴を開けたらすとんとその場所に出られそうなのだけど、迷ったまま、再びここを基点にして行動するのも良いのかもとも思い悩む。

 延々と終わらない物語にゆるゆると引きずられ、惑わされ、複雑に絡み重なりあい海綿のようになったシナプスの水路の中で迷い続け、ときにはフリーズする。でも、大丈夫、これは孤独な旅ではない。水路には至る所に先人達の知恵と記憶がレコードされていて、再生されるそのその暖かな声に教えられ、励まされ、導かれて僕は自分のささやかな装置をリブートする。

 話は少し変わるが、少し以前に僕はジョルジョ・モランディ(註1)の絵画の構造分析に熱中していた時期があって、彼の仕事に常に絵画を0度に消滅させようとしている意図を強く感じ、素朴を装っているが緻密に計算された画面構成と絵具使いのトリッキーさに驚かされながらも収穫は多かった。モランディは表向きのイメージとして壷やら、瓶やらの器を描いてはいるが、描くことによって空間を均質なものへと接近させて行くということでは、実際はミニマルアートのロバート・ライマン(註2)などの仕事に非常に近しいのではないだろうか(それどころかモランディこそ最初のミニマリストじゃないかとさえ僕は思っている)。モランディの初期にはシュールレアリズムの系列の仕事もあり、影が実体と等価、あるいはそれ以上であるような世界の捉え方(これは所謂モランディスタイルの絵画全般にも通じるところだ)が、セザンヌや、その変奏あるいはマニエリスムとしてのキュビズムの方法論と結びつき「絵具」の在り方も含めた「絵画の構造そのもの」の提示へと移行して行ったもののように思える。彼の仕事はシンプルな道具立てだがある角度から観察すると私見ではマックス・ヴェルトハイマー(註3)の体制化の法則(註4)を徹底的に駆使したロジック・パズルでもあるのだ、永遠に解けないロジック・パズル、つまりはパラドックスとしての絵画、シュールレアリズムの精神をベースには引き継ぎながらも、描かれたイメージに拘泥するのではなく、絵画というものの存在自体を謎として現前させているという、その幻の足場を絵画の外部に設定したという点で傑出している。モランディは画面にイメージとしての器を描きながら、しかし同時に絵画自体がひとつの奇跡の器そのものであるような素敵な仕事を見せてくれた。こうした方向性の仕事はともすれば視覚のトリック操作が前面に出て、騙し絵のような痩せた表現になりかねないが、モランディはまさに絵画としてそれを成立させることの出来る希な画家なのだ。それは極めて自己言及的な絵画、モノの実在を突き詰めるというより、モノの不在を突き詰めるというのだろうか。ある意味「空」という仏教的な世界観にも近接した不思議の現れ。朴訥温厚生真面目な静物画家を装って、なんと喰えない親爺なのだろう、モランディという人は! 

 僕は、かつて(90年代初頭)杉板を素材に箱の連作「空の王座(からのみくら)」を作っていた時期があったが、ある日、自分は箱を作りたかったのではなく、実は板を組むときに出来る隙間を作りたかったのだと気が付いたときの非常に納得した気持。物理的に隙間だけを作る事は出来ない、だからまず箱を組み結果としての隙間を得るということには、空間を消滅、もしくは均質化させる為にイメージを使うというモランディの逆説的手法(それは彼の明暗のコントラストの強い水彩の作品に顕著にみられるが)が先駆としてあった。「意味が無意味を規定し、無意味が意味を規定する」というのか、「有るということが無く、無いということが有る」というのか、何だか禅問答のようで、ドーナッツの真ん中だけを食べるのに似た話だが.... 「空の王座」、今見直すとこの立体は非常に稚拙なものだが、今回出品する新作の絵画と90年代の立体、この二つの仕事は冒頭に述べたような迷い行きついた水路の「いつか来た場所」に重なって存在するものであるようだ。

 なんだか前置きがすっかり長くなってしまったが、いま僕が興味があるのは、先に述べたモランディのようにイメージとしての器を描きながら同時に絵画自体が世界におけるひとつの奇跡の器であるといった絵画だ。自己言及性を含んだ絵画、そのようなものを描きたい。実際、絵画自体の置かれた位置、意味、そうしたものにかかわるメタ絵画の仕事こそ描かれた絢爛たるイメージにおける見かけの多様性とは裏腹に、ある意味では画一化しつつある絵画の現況に対する切り口のひとつとして大切なことなのだと確信している。絵は絵空事(えそらごと)には違いなく、それは描かれたイメージの「絵空事」性と世界の中での絵画の存在としての「絵空事」性のことなのだが、今回の個展はそうした二つのことをあくまでも自己の問題として改めて突き合わせて考えてみる機会としたい。

 さて、以上が今回の個展「えそらごと」について書き記したメモを羅列したものであるけれど、このメモを書いているのは2009年の12月、ダウジングは振り子任せの成り行き任せの展開なので、この一ヶ月で自分がどこに運ばれるのか、2010年2月の実際の発表内容がここに述べたラインに添ったものになるのかは当人である僕にも分からない。予定は常に未定であって、決定ではないから。それでは会場で!

上野慶一(美術家)

■註1 ジョルジョ・モランディ/Giorgio Morandi (1890年7月20日 - 1964年6月18日)20世紀前半に活動したイタリアの画家 初期には未来派及び形而上絵画の影響を受けた絵画を制作、後に静物画、風景画に独自の世界を開く。
■註2 ロバート・ライマン/Robert Ryman (1930年5月30日 - )アメリカ合衆国のミニマリズムの美術家。厳格というより豊かで暖かみを帯びた白色のミニマル絵画を描いた。
■註3 マックス・ヴェルトハイマー/Max Wertheimer (1880年4月15日 - 1943年10月12日)心理学者。ゲシュタルト心理学の創始者のひとり。体制化の法則をあきらかにした。
■註4 体制化の法則/群化あるいは纏まりの法則ともいう、多くの対象を体制化する働きで、近接の要因 、類同の要因、共通運命の要因 、良き連続の要因 、良い形の要因 閉鎖性(閉合)の要因、客観的構えの要因、プレグナンツ(簡潔性)の要因、などの様々な要因が知覚に影響を及ぼすとする考え。

 

switch pointでの過去の展覧会

2006 lighthouse vol.3(倉林靖企画)上野慶一詳細

 

上野慶一(うえの・けいいち)略歴

1956 東京生まれ
1980 東京芸術大学絵画科油画専攻卒業

個展

1980 Gアートギャラリー(東京)
1985 FF市民ホール(東京)
  武蔵野市民ホール (東京)
1986 田村画廊 (東京)
  ギャルリ伝 (東京)
  ルナミ画廊 (東京)
1987 ギャラリーなつか(東京)
  田村画廊 (東京)
  ギャラリーT&I(東京)
  ギャラリーるなん(東京)
  ギャルリ伝(東京)
1988 西瓜糖(東京)
  なびす画廊(東京)
  日仏学院ギャラリー(東京)
  コバヤシ画廊(東京)
1989 ギャラリー16(京都)
1990 なびす画廊(東京)
1991 コバヤシ画廊(東京)
1992 ギャラリーなつか(東京)
  Gallery FLOOR2(東京)
  なびす画廊(東京)
1993 Gallery FLOOR2(東京)
1994 真木・田村画廊(東京)
  ギャラリーなつか(東京)
  Gallery FLOOR2(東京)
1995 ギャラリー16(京都)
  Gallery FLOOR2(東京)
  真木・田村画廊(東京)
1996 Gallery FLOOR2(東京)
  真木・田村画廊(東京)
1997 ギャルリ伝(東京)
1998 ギャラリー山口(東京)
  ギャルリ伝(東京)
  ギャラリー16(京都)
1999 ギャラリーイデア (東京)
2000 ギャラリー人(東京)
2002 ギャラリーappel(東京)
2003 現代ハイツギャラリー(東京)
  ギャラリー二葉(東京)
  ギャラリーappel (東京)
2004 シネマアートン(東京)
  DEE'S HALL (東京)
  ギャラリーappel(東京)
2005 ギャラリー・ユイット (東京)
  マキイマサルファインアーツ(東京)
  N氏個人宅(東京)
  シネマアートン(東京)
2006 現代ハイツギャラリー+シネマアートン+スタジオ イチ(東京)
  「ユーグレナ 惑星の日々」ギャラリー福果(東京)
  「容器と水路」switch point(東京)
2007 ギャラリーなつか(東京)
  現代ハイツギャラリーST (東京)
2008 「face/surface Vol.0」ギャラリーなつかcross (東京)
2009 「face/surface/interface Vol.1」ギャラリーなつか& b.p (東京)

主なグループ展

1985 「京都アンデパンダン展」京都市美術館(京都)
1986
「振動数領界」なびす画廊(東京)

「額の仕事展」ギャラリーミカワ(東京)
  「ヒルズ・シックス展」アートフロントギャラリー(東京)
1987 「デッサンー予感の周辺」なびす画廊(東京)
  「第4回釜山ビエンナーレ」韓国(東京)
  「第12回GOOD ART」京都市美術館(京都)
  「ぷろみしんぐ・なびす」なびす画廊(東京)
  「ドローイング展」藍画廊(東京)
1988 「釜山ドローイング展」(韓国)
  「ROUND1988」ギャラリーなつか(東京)
  「ルナミセレクション’88」ルナミ画廊 (東京)
  「第7回平行芸術展」小原流会館(東京)
  「第24回今日の作家展-多極の動態」横浜市民ギャラリー(神奈川)
1989 「ホルベインアクリラート展」O美術館(東京)
  「JAPANESE CONTENPORARY ART IN THE ’80`S 」ハイネケンビレッジ(東京)
  「第25回今日の作家展-かめ座のしるし」横浜市民ギャラリー(神奈川)
1990 「作法の遊戯」- 90年春、美術の現在vol.2」水戸芸術館(茨城)
  「絵画/日本-断層からの出現」東高現代美術館(東京)
1991 「11+∞展」O美術館(東京)
1992 「国際コンテンポラリーアートフェア’92」パシィフィコ横浜(神奈川)
1993 「12+∞展」O美術館(東京)
  「+∞展」地球堂ギャラリー(東京)
1994 「金曜日のまれびとたち その3」なびす画廊(東京)
  「13+∞展」O美術館(東京)
1995 「TAMA VIVANT- 感嘆詞の消えた時から」多摩美術大学(東京)
1996 「匍匐は跳躍」なびす画廊(東京)
1997 「解放された視野」ルナミ画廊(東京)
1998 「Each Artist Each Moment 1998」Gallery GAN (東京)
2000 「山本豊子+上野慶一2人展」ギャラリーイデア(東京)
2003 「美と術」高馬浩+上野慶一 二人展  藍画廊(東京)
2004 「版画を読む」文房堂ギャラリー(東京)
2005 「アートコミュニケーション回復展Ⅱ」ギャラリーなつか (東京)
  「旗展」(セルビア)
2006 「硝子絵展」シネマアートン(東京)
2007 「角状性」上野慶一・黒川弘毅 展 なびす画廊(東京)
  「願望機」大室桃生と二人展 DEE'S HALL(東京)
  「寓意」JING ART( 上海)
2008 「TAMA VIVANTⅡ-イメージの種子」多摩美術大学(東京)

 

開催情報

上野慶一 展「えそらごと」
2010年2月4日(木)ー1月14日(日)
11:30ー18:30(最終日11:30ー17:00)
10日(水)はお休み

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